東日本橋地域はかつては両国と呼ばれていたとのこと
当社のある地域は矢之倉と呼ばれ両国と両国橋の西側の町に、明暦の大火後の万治2年(1659)に橋が架かり、交通上賑やかな地となりました
この時大火事の多い江戸に鑑みて二度と災害の悲劇を繰り返さぬ様にと各所に火除地が設けられ
両国にも中央区側に広小路が出来て、防火や避難に役立つ広場が設けられたと言います
月日が流れいつの間にかこの空地を利用して軽業や見世物小屋が並び、水茶屋、喰べ物見世などで江戸で一番の賑やかで、華やかな場所になっていきました
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